A DAY IN 多治見
commentary by Hans O. Karlsson
多治見市は海外向けの新しいPR動画「A Day in Tajimi」をリリースし、YouTubeで人気を集めています。今年の秋には大規模な国際陶磁器フェスティバルも開催されます。多治見には他にどんな面白いスポットがあるのでしょうか?
2020年最初の記事ではこの動画に関連する詳細情報のまとめをお伝えします。
2020年最初の記事ではこの動画に関連する詳細情報のまとめをお伝えします。
以下は、映画に登場するスポットや人物のリストです。 興味のあるシーンがありましたら、クリック、スクロールしてご覧ください。
the painter
画家である木全靖陛氏は陶板の壁の絵なども手掛けていますが、彼の一番素晴らしい表現方法はライブペインティングによる作品制作です。ここではタイムラプスで撮った動画を載せておきます。木全氏が基本的なテーマにしている竜の絵ですが、今回の動画は多治見市のまなびパークで行われたものです。彼のウェブサイトでは他にもたくさんの動画や作品をみることができますよ。
web site
木全氏は名古屋造形デザイン専門学校卒業(現あいち造形デザイン専門学校) 20歳でKATという名義でアーティスト活動を開始しました。彼は国内外のさまざまな場所で展覧会やライブペインティングパフォーマンスを開催し、他の複数のアーティストとコラボレーションしています。
多治見市のPR動画では、多治見市にある虎渓山徳林院で制作しています。
the temple
徳林院は多治見市にある美しい寺院です。銀杏の木が植えられたこのお寺の小さな庭は、美しく整えられ、訪れた人の心を安らかな気持ちにさせます。私たちは去年の秋、銀杏の黄色く色づいた葉っぱで地面が全て覆われた紅葉の様子を360°写真に納めました。私たちがこの1年間毎月開催している多治見市VRミニツアーの中でも最も人気があり、美しいスポットの一つです。
この360°画像を案内したツアーのなかで、よく覚えているのはアリゾナ在住のカラス族というインディアンの方が参加してくれた時のことです。彼はこの美しい画像を体験し、「ああ、ここで静かに一人座って、パイプをふかせたらどんなにいい気分だろう!」と叫びました。このVRツアーにはアメリカンインディアン、インド人、アメリカ人とカナダ人のカップルが参加しましたが、とても不思議で素晴らしいツアーとなりました。
the museum
「かつて栄えた笠原町は、厳しい時代に直面していました。一郡一町独立独歩だったこの町は隣の多治見市に組み込まれましたが、人々はタイルの町のアイデンティティを生かし続け、その産業とコミュニティを再び活性化しようと試みました。ここに建てられた美術館はその活動の追い風になるでしょうか?」
モザイクタイルミュージアムの構想はあまりにも無理だろうという懸念の中、ミュージアムはオープンし、以来大勢の人を魅了してきました。昨年、タイル業界の牽引者の一人である株式会社セラメッセの代表取締役社長、水野雅樹氏にインタビューしました。その中で彼はこんな事を話してくれました。「ミュージアムはいい時期にちょうどいい形でオープンできたんだろうと思っています。建物のデザインはみた事のない進歩的なものですが、それは優しく周りの自然と調和しています。」
多治見の囲む山々には何十年にも渡り、粘土を掘った山腹がたくさん見られ、このミュージアムの形はそれをイメージしているのです。そういった場所では、片側は土が剥き出しになっていますが、上部には木々が残っています。前述の水野氏は「ある意味で可愛らしく、ロマンチックな雰囲気がありますよね。」と微笑みながら話してくれました。日本語のカワイイは若い日本人女性に愛されているコンセプトであり、ミュージアムへ訪れる方の好みがはっきりと分かります。このミュージアムでは特に1階のDIY体験コーナーが人気のようです。
THe artist
加藤智成氏は私たちの家からすぐ近くの高田町の丘に住んでいます。とても狭く曲がりくねった急な登り坂がたくさんある町で、地元の人ですら気をつけて運転しないといけません。少し前にも、軽トラックが脱輪してしまい、道から半分落ちそうになっていました。この町に初めて来た人はよく迷ってしまいますが、加藤氏の工場に近づいてきたら、彼がここで制作しているとすぐに分かることでしょう。たくさんの不思議なオブジェクトが工場の周りのあちこちに置かれていますから!
加藤氏は2017年第11回国際陶磁器展美濃において自身の作品「Topological Formation」で金賞を受賞しました。来年(2020年)この大規模な陶磁器イベントが再び開催され、陶磁器の芸術やデザインを祝います。世界中の人々が賞金500万円のグランプリを競い、これに合わせて近隣の地域では多くのイベントや展覧会が開催されます。きっと興味深いこともたくさん見つかるでしょう。日本で陶芸を楽しみたいなら絶好のチャンスです。(詳細はこちら here)
the festival
2017年には多治見に所縁のある武将たちの姿で町を練り歩く多治見祭りに、私は斎藤道三になって参加しました。斎藤道三(1494−1556)は斎藤利政として知られる日本の戦国時代の武将です。この時代は日本の内乱期で、武将たちは国を支配するために戦っていました。斎藤道三は彼の息子と美濃国の長良川の戦さで戦い、命を落としました。このパレードで町を練り歩く時、私は他の参加者の皆さんのように重い甲冑の格好ではなかったのでラッキーでした。私が身につけた着物はとても動きやすく、エレガントなものでしたから!
パレードでは沿道の皆さんに声援をいただいて、とても楽しく歩きました。
面白いことに、私を応援してくれた人たちは多分80代くらいのご婦人たちが多かったのです。私が彼女たちのグループが立っているところに近づいていくと、その中の一人は「ほら、あの外人さんまた来たよ!」なんて大きな声で言ってくれたりしました。パレードは町の中心まで行くと、同じ道を引き返し、また私を待ってくれている人たちに会ったりして、とても嬉しい思い出になりました。
the local delicacy
五平餅は日本の中心部に位置する岐阜やその周辺の地域の伝統的な食べ物です。この甘いお米のおやつにはちょっと興味深い背景があります。そちらの詳しい情報については、この五平餅エッセイのパート2と無料のeブックで読むことができます。多治見にある人気の五平餅のお店を紹介しましょう。この紹介ビデオを見ると、自分で作ってみたくなるかもしれませんね。もしその場合は五平餅の作り方のビデオも用意していますので、そちらをご覧になってください。
the factory
笠原町は昔から日本を代表するタイル王国です。80年台のバブル経済最盛期には、タイルが大規模な工場で大量生産され、この町に巨額な富をもたらしました。そういった工場のいくつかはまだ残っており、また、規模を小さくした工場も頑張っています。丸万商会もその一つです。
丸万商会の社長である古田由香里さんは笑顔と楽しいお話で私たちを工場に迎えてくれました。その工場で働く方々(古田さんは彼女たちのことを職人と呼びます。)は非常に熟練した技術をもち、またその仕事も手際がよく、スピーディでした。手作業で小さなタイルを枠にはめ込み、指定されたデザインにします。その後、そのデザインのまま壁などに貼れるよう網を付け、枠から外します。古田さんによると、「パターンのカラーバランスを指定してオーダーします。職人は一つ一つ作りながらカラーバランスを調節していきます。」と説明してくれました。
私たちは観光客への体験ツアーを用意している地元のタイルメーカーを他にも取り上げています。こちらについては2019年の記事をクリックして読んでください。
the eel cook
多治見に少しでも興味を持っていて、多治見を訪れるなら、うなぎ屋さん - ウナギのレストランは外せません。私の母親はウナギは脂っこい食べ物だといつも言っていたので、多治見に引っ越すまでは私はウナギについていいイメージがありませんでした。それで東京にいた時は一度もウナギ屋さんに行かなかったのです。 しかし、ここ多治見に来た時、最初のおもてなしでウナギ屋さんに招待され、そのイメージが180度変わってしまいました。その時から私は猛烈なウナギの虜です。この記事では、外国人の旅行者から人気を集めているウナギレストラン魚関のオーナーシェフである村手洋之さんにお話を伺いました。
the local pub
やぶれ傘 - 英語にすると「ブロークン・アンブレラ」は多治見にある無骨な居酒屋で、地元の人だけでなく、遠くからの人からも高い人気があります。この場所は個性豊かで、日本人の言い回しですが「人間臭さ」がありますよ。
この言い回しは日本ではとてもいい意味として受け取られます。日本の都市部のあちこちに同じような外観でたくさんあるチェーン店とは一線を画す「人間臭さ」のある飲食店は、年月が経ってもお客さんたちが行列を作り、訪れている人たちの会話が壁の外まで聞こえてくるほど賑やかです。こういった場所では人々が出会い、話し、笑い合い、議論したりします。これこそ昔ながらの日本の居酒屋であり、それがやぶれ傘なのです。
興味深いことに、この雰囲気に惹かれている若者が増えているようです、多分彼らは、明るい未来を見ていた楽観的な昔の日本のムードを体験したいのかもしれませんね。確かに日本には、昭和をテーマにした出し物やアトラクションがたくさんあります。この時代には外国人でも感じられる見せかけでない何かがあります。その古くささを残していた地区は、私が東京のことを懐かしく思うただ一つのものです。残念ながら、そういう地区は都市開発の犠牲になってしまいましたが、ここやぶれ傘では今でも古い東京の気取らない雰囲気を感じられます。
the kiln
幸兵衛窯元は1804年、多治見の市之倉郷で、美濃の国の初代加藤幸兵衛によって開窯されました。幸兵衛は位の高い人々に食器を染付して納めていました。客のなかには、江戸の大きなお城の領主もいました。亮太郎さんはその七代目の後継者の長男で、美濃地方の復興や、海外における日本陶芸の伝統の認識の高まりに貢献する若い力なのです。その素晴らしい伝統にもかかわらず、幸兵衛窯は海外との取引まだあまり多くなく、現在中国やヨーロッパなどで地位を確立させる取り組みを行っています。それとは対照的に、幸兵衛窯の陶芸家たちは、外国の陶芸文化を日本にもたらしたという重要な役割を果たしてきました。故人間国宝の幸兵衛窯六代目 加藤卓男(1917~2005)は、古代ペルシャのラスター彩陶器に最初に興味を示した人でした。美しい青と3色の釉薬に魅せられ、17世紀以降完全に失われていたペルシャの陶工の技術を復元しようと思い立ちました。
幸兵衛窯元は1804年、多治見の市之倉郷で、美濃の国の初代加藤幸兵衛によって開窯されました。幸兵衛は位の高い人々に食器を染付して納めていました。客のなかには、江戸の大きなお城の領主もいました。亮太郎さんはその七代目の後継者の長男で、美濃地方の復興や、海外における日本陶芸の伝統の認識の高まりに貢献する若い力なのです。その素晴らしい伝統にもかかわらず、幸兵衛窯は海外との取引まだあまり多くなく、現在中国やヨーロッパなどで地位を確立させる取り組みを行っています。それとは対照的に、幸兵衛窯の陶芸家たちは、外国の陶芸文化を日本にもたらしたという重要な役割を果たしてきました。故人間国宝の幸兵衛窯六代目 加藤卓男(1917~2005)は、古代ペルシャのラスター彩陶器に最初に興味を示した人でした。美しい青と3色の釉薬に魅せられ、17世紀以降完全に失われていたペルシャの陶工の技術を復元しようと思い立ちました。
PR動画にも出てきた窯を360°画像でもお楽しみください。窯の上に広が紅葉が美しいですよ。
ここはVRミニツアーの中でも皆さんからの反響の高い場所の一つです。こちらの穴窯は幸兵衛窯内にありますが、年に数回火が焚かれます。ここでイベントも開催されることがあり、撮影をした時は美しい古代スタイルの衣装をきた3人の女性による琵琶の演奏会がありました。琵琶は日本の短いネックのフレットがついたリュートの一種であり、よく語り部の物語に合わせて演奏されます。
the ceramics school
Ishoken(多治見市陶磁器意匠研究所)は1959年10月に設立されました。所長の中島晴美氏はこの学校についてこう紹介しています。
1960年3月にishokenの研修プログラムを修了した第1期生が卒業して以来、800名を超える若い人財が巣立ち、陶芸家やデザイナーとして活躍しています。ishokenのある多治見市は、隣接する土岐市、瑞浪市とともに「美濃焼」という日本最大の陶磁器産地を形成し、日常食器から建材としてのタイル、織部・志野に代表される茶道で用いられる抹茶茶碗、さらには芸術表現としての立体造形作品まで、さまざまな陶磁器を生み出してきました。その歴史は古く、7世紀初めに生産された須恵器にはじまるとされ、今日まで1300年にわたり陶磁器生産を続けています。
2019年の記事では、この学校の卒業生の2人にインタビューしました。彼らは卒業後、彼らの会社である「3rd Ceramics」を立ち上げ、日本の伝統的な陶芸家と大規模な陶磁器生産メーカーの間に彼ら自身のやり方を確立することを目指しました。上の花瓶は彼らの新しいブランドラインとして打ち出す製品です。
the pottery
PR動画のラストシーンは伝統的な抹茶茶碗の焼き上げです。以前多治見の焼物の伝統についてのシリーズ記事を執筆しました。この地域は日本でも最高の粘土鉱床に恵まれており、陶磁器の伝統は長く深く続いています。焼物に関連することが動画のあちこちに散りばめられているので、ご覧になられたら、そのことを感じてもらえることでしょう。これはシリーズ記事「美濃焼物語」で詳しく書いています。焼物の歴史がドラマチックなことに驚かれるかもしれませんね。現在、美濃焼の黄金期と見做されている時代は、戦国時代の後半に起こりました。その時代の焼物で残っているものもあれば、再現されているものもあります。