07 - 多治見 銀座通り
昔の商店街の埋もれた記憶を探る旅
多治見町歩きシリーズにようこそ!
今回は、「商店街」の代表的なエリアである銀座通りを訪ねました。日本の商店街の起源は、古くは楽市・楽座と呼ばれ、領主の支配する地域に設けられた経済活動の場にあると言われています。その頃、日本ではおよそ100年に及ぶ内戦が繰り広げられていました。「楽」とは「救済」を意味し、貿易の規制を緩和し、経済発展を促すという意味があります。
江戸時代には宿場町や街道沿いの寺院、近代には港や駅周辺に商店街が発達しました。寺院の前の商店街は 東京・浅草寺の仲見世通りに見られるように、簡単に言えば人通りが多く集客が見込める場所に開発されたのです。
興味深いことに今日歩く道には、この多治見の地主、多治見国長を称える碑が建てられています。この多治見武将の生涯は、ドラマチックで悲劇的なものでした。銀座通り商店街とその周辺は、それほど古い時代に出来たものではありません。しかし近代になり、屋根のあるアーケードになる前から商業の中心地として活気があり、毎年七夕などのお祭りが行われていました。毎年7月7日、織女星と牽牛星が天の川を渡り、愛の絆を確かめるという伝説があります。日本では細長い色紙に願いを込めて、笹にきれいに飾りつけをして、天の恋人たちに思いを馳せます。
また、昭和初期に映画館となった榎本座のような娯楽施設もありました。榎本座は明治15年(1882)に芝居小屋として開館しました。多治見は窯業の町であり、昭和40年代から50年代にかけては、遠方から集められ多治見近辺の窯元で働く若い工員たちが、大勢やってきて映画を楽しんでいたそうです。
また昭和の時代を生き、今もその雰囲気を伝える場所、喫茶店「モリタ」も忘れてはいけません。2013年に放送されたNHKドラマ「愛しき者へ」で「喫茶タイガー」として使われたことでも有名です。
薄暗い店内にはシャンデリアやシェードランプが置かれ、まさに昭和のノスタルジックな雰囲気が漂っています。
今回は、「商店街」の代表的なエリアである銀座通りを訪ねました。日本の商店街の起源は、古くは楽市・楽座と呼ばれ、領主の支配する地域に設けられた経済活動の場にあると言われています。その頃、日本ではおよそ100年に及ぶ内戦が繰り広げられていました。「楽」とは「救済」を意味し、貿易の規制を緩和し、経済発展を促すという意味があります。
江戸時代には宿場町や街道沿いの寺院、近代には港や駅周辺に商店街が発達しました。寺院の前の商店街は 東京・浅草寺の仲見世通りに見られるように、簡単に言えば人通りが多く集客が見込める場所に開発されたのです。
興味深いことに今日歩く道には、この多治見の地主、多治見国長を称える碑が建てられています。この多治見武将の生涯は、ドラマチックで悲劇的なものでした。銀座通り商店街とその周辺は、それほど古い時代に出来たものではありません。しかし近代になり、屋根のあるアーケードになる前から商業の中心地として活気があり、毎年七夕などのお祭りが行われていました。毎年7月7日、織女星と牽牛星が天の川を渡り、愛の絆を確かめるという伝説があります。日本では細長い色紙に願いを込めて、笹にきれいに飾りつけをして、天の恋人たちに思いを馳せます。
また、昭和初期に映画館となった榎本座のような娯楽施設もありました。榎本座は明治15年(1882)に芝居小屋として開館しました。多治見は窯業の町であり、昭和40年代から50年代にかけては、遠方から集められ多治見近辺の窯元で働く若い工員たちが、大勢やってきて映画を楽しんでいたそうです。
また昭和の時代を生き、今もその雰囲気を伝える場所、喫茶店「モリタ」も忘れてはいけません。2013年に放送されたNHKドラマ「愛しき者へ」で「喫茶タイガー」として使われたことでも有名です。
薄暗い店内にはシャンデリアやシェードランプが置かれ、まさに昭和のノスタルジックな雰囲気が漂っています。
今日のウォーキングのスタート地点での写真です。
さて、銀座通りに到着しました。日本各地の商店街でそれぞれの業種の個人商店が活躍していた頃の面影を残しています。通りの入り口には「新町銀座」と書かれた大きな看板があり、皮肉なことに、新しい町、新しい時代の到来をイメージさせています。しかし、それはすでに遠い過去になってしまいました。
古い写真の撮影場所を特定するのは簡単にはいきませんが、ここでは左手にある店の看板を頼りに、現在そこにある診療所と同じ名前の店、三和があったことを知りました。そのため、下の地図にある場所だと特定することができました。
これは、おそらく昭和時代の写真です。銀座通りの上にはまだアーケードの屋根はありません。左右に並ぶ看板に「銀座七日市」とあり、売り出しをやっているのでしょう。七日市とは、月の7で終わる日、つまり7日、17日、27日に行われます。看板の左側には、ふとん屋さんが見えます。横の看板には一方通行と書いてあるので、この写真は通りの端で撮ったのでしょうね。
銀座通りの活性化
最近この地域を活性化させる運動の種が、多治見で芽を出し始めています。中日新聞は、これに携わる若い起業家の一人を取り上げて、次のように書いています。
『多治見市新町の多治見銀座商店街の空き店舗に、陶磁器販売業、花山和也さん(35)が貸し工房とシェアハウスを整備している。シャッターが目立つ商店街の活性化や陶芸家の活躍など「さまざまなことのきっかけになる場所にしたい」と意気込む。』
ウォーキングマップで道を確認する
おりべストリートや下街道に沿って、周辺を巡るルートを作成してみました。さあ、あなたの探検の時間ですよ。
左上のアイコンをクリックすると、ウォーキングルートのリストが表示されます。
おりべストリートや下街道に沿って、周辺を巡るルートを作成してみました。さあ、あなたの探検の時間ですよ。
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多治見国長邸宅跡 - この地の英雄を偲んで
多治見国長邸宅跡の場所
ショップ&カフェ、歴史的建造物の一部をご紹介します。
多治見国長邸跡
多治見国長は、土岐氏(美濃源氏)の流れを汲む一族の一人です。美濃国土岐郡多治見郷(現・岐阜県多治見市)を本拠地としていました。
この記念碑は、彼の住居跡に掲げられています。国長は後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒計画に参加し、1324年に日野資朝の招きで京都に入りました。
その計画が相手の知るところとなり、国長たちが滞在している京都の屋敷に攻め込んできました。激しい戦いは昼過ぎまで続いたそうです。千人の武士が屋敷の周りを囲み、裏通りの塀を壊して、その場になだれ込んできました。国長はこれで終わりと悟ったのでしょう。内門のそばに守備隊を並べ、互いに切り合い、地面に倒れてこと切れました。すると、攻撃側が殺到して、彼らの首を取り持ち帰っていきました。4時間に及ぶ戦いで、273人の死者が出たと言われています。国長については、このサイトの以前のの記事で詳しく紹介しています。
喫茶モリタ
モリタは、多治見市産業文化センター近くの銀座商店街のアーケードの真ん中にあります。
2013年に放送されたNHKのドラマ「愛おしくて」で「喫茶タイガー」として使われたことでも有名です。
薄暗い店内にはシャンデリアやシェードランプが灯り、昭和のレトロな雰囲気が漂います。
東文堂書店
多治見・東濃弁講座でも使用している多治見弁カルタを出版している書店です。この講座はYouTubeでもヒットしており、現在最も人気のある投稿は再生回数30万回に迫る勢いです。多治見市小路町14番地。
実際に本やカルタを売っている場所は違いますのでご注意ください - ながせ通りのヒラクビルで販売しています。
多治見・東濃弁講座でも使用している多治見弁カルタを出版している書店です。この講座はYouTubeでもヒットしており、現在最も人気のある投稿は再生回数30万回に迫る勢いです。多治見市小路町14番地。
実際に本やカルタを売っている場所は違いますのでご注意ください - ながせ通りのヒラクビルで販売しています。
喫茶ひしや文具店
ひしやホームページではこのように書かれています。「岐阜県多治見市にあるカフェ併設の文具店です。カフェは、故・曽根研氏のモザイクタイルで彩られた穏やかな空間で、珈琲、紅茶、ケーキなどを食べながらゆったりした時間を過ごせます。80年以上つづく文具店では、昔ながらの文具や事務用品、和紙、文具雑貨などを展示。よき時代のよき店舗でよき時間をお過ごしください。」
ひしやホームページではこのように書かれています。「岐阜県多治見市にあるカフェ併設の文具店です。カフェは、故・曽根研氏のモザイクタイルで彩られた穏やかな空間で、珈琲、紅茶、ケーキなどを食べながらゆったりした時間を過ごせます。80年以上つづく文具店では、昔ながらの文具や事務用品、和紙、文具雑貨などを展示。よき時代のよき店舗でよき時間をお過ごしください。」