柴田育彦
ボーダーレスな陶芸家
柴田育彦氏は、美濃焼の伝統に基づいた作品や、現代の日常生活で使用する食器制作も手掛けている多治見市の陶芸家です。彼は冒険することに消極的な人ではありませんが、古くから続く美濃焼の感性を大事にしています。また、彼は国境を越えた交流を楽しみ、定期的にアメリカに訪れ、アメリカで日本の焼物を広めようと尽力しています。
最近の作品
日本の茶室から西洋のダイニングルームまで
柴田氏のスタジオに着いたとき、これは今までのインタビューとは違うものになるかも知れないなと思いました。彼のスタジオはとても個性的で、暖かく迎えられているような雰囲気がありました。というのは多治見の陶芸家たちは普通、灰色の壁と鉄鋼で出来た工場で作業しています。それとは対照的にこのスタジオは郊外の小さなカフェのように素敵な建物でした。彼は入り口の引き戸から顔を出し、魅力的な優しい笑顔で私たちを出迎えてくれたのです。
私たちがこのスタジオの至る所に置かれている陶器を眺めて回っていると、彼はこんな事を話し始めました。「ここがカフェのようだと思われるのは、全然的外れでもないんですよ。この窯を作る当時は、上手くいくか分からなかったので、そういう時のためにプランBとして喫茶店にすることも考えてたんですよ。」そうして彼は私たちのカップにコーヒーを注ぐためにコーヒーを入れた入れ物を持ってきました。その入れ物はテラコッタ風の素焼きの素朴な焼物で、取っ手はなく、細い注ぎ口のついた片口のような形でした。「確かに普通はお酒を出すのに使いますよ。でもこうやってコーヒーを注いだら楽しいでしょう!」と笑いながら、注いでくれました。お酒も効き目がいいですが、彼のコーヒーもかなりパンチが効いていました。
「私は伝統的な抹茶茶碗を好んで作っていますが、最近は日常の食器も楽しんで作っていますよ。」と言い、正方形のプレートいくつかと長方形のプレートもいくつか持ってきました。それらは日本の伝統的な素朴な感覚と、現代的な感覚とが上手く混じり合ったデザインでした。「このお皿なんかはスペイン料理レストランで使われるかも知れませんね。」とテーブルにプレートを置きながら話しました。彼は日本に昔から伝わる抹茶茶碗の世界と洋食器の世界のボーダーを越えることに興味があるようです。「例えば簡素化した方法で抹茶茶碗を作り、リーズナブルな値段にすれば、現代の方々の手に渡りやすくなります。そういったものは日常のディナータイムやティータイムで使えますよね。洋風な生活空間の中でも和菓子と共にお抹茶を飲んだりして楽しんだり出来ますよ。」
プレート
私は柴田氏が毎年数ヶ月間アメリカを訪れている事を聞いていましたので、「アメリカでも販売していますか?」と聞いてみました。「いや、販売はしていませんよ。ちゃんと買ってくれるお客さんを見つけるにはたくさん考えることがありますからね。」と彼は答え、日常で使用する焼物を作る「すき間仕事」について話してくれました。これは伝統的な抹茶茶碗のような作品作りとは全く違う仕事ですが、違う層の買手へのアプローチが出来るのではと考えています。それを分かりやすく説明するため、いくつか長いプレートを見せてくれました。「例えばそういうお客さんのためにサンマ用のお皿を作りましたよ。これはサンマの長さとぴったり合うようになっています。でも、サンマだけではなく、お寿司なんかを乗せてもいいですよ。」
秋刀魚のためのプレート
彼は慣習にとらわれずにアイデアを膨らませるのが得意なようです。「伝統的な茶碗を作ることだけで成功するのは難しいんですよ。」と彼は剣な面持ちで言いました。「それぞれの作品にはたくさんの労力が費やされています。クリエイティブなプロセスには精神的な葛藤を伴います。そればかりやっていると、狂ってしまいますよ!」と彼は笑いました。彼の笑いを見ると、周りの人たちもつい笑ってしまいます。彼が純粋に楽しんでいることがよく伝わってくるのです。「そういった全ての大変なプロセスと葛藤があるから抹茶碗は高いものになってしまうんです。そこで私は抹茶茶碗を作る合間の自由時間でこんなお皿を作っているんです。」と彼は机の上に広げたプレートを見せながら言いました。
抹茶茶碗
生き残るための破壊
柴田氏は新しい事への挑戦がとても好きな人ですが、伝統的な物についても深く勉強しています。そこで私は日本の有名な焼物の町に住んでいたヨーロッパ人の陶芸家についてこんな事を話してみました。その人によると、80年代のバブル期でも、多くのお客さんは新しい試みの作品はあまり手にせず、伝統的な作風の物しか買わなかったそうです。
それに対し、柴田氏はこう話しました。「はっきり言ってしまうと、その人はその町の伝統的な焼物を真からは理解していなかったかも知れませんね。シンプルなご飯茶碗でも、日本の古典的なデザインはものすごく深いんですよ。素人から見れば同じように見えますけどね。そういう人には抹茶茶碗も同じように退屈に見えるでしょうね。これは受け手の問題ですけど、一方日本の伝統的な陶芸家の問題は想像力と創造性がない事です。ここ多治見ではそれがはっきりしています。」
柴田氏はここでは創造的なプロセスは話していません。この地域の「陶器の祖」について話しています。「例えば陶祖ですが、他の陶器の町がどうやって昔の人物のイメージをブランド作りに使っているか考えてください。この地域の人はそういう想像力が足りないと思います。ブランド作りが下手すぎます。そういう想像力が乏しいため、素晴らしい伝統は忘れ去られ、私たちの産業は衰退していきます。『陶芸家なんていう仕事はお金儲けが出来ないから、やっても仕方ない』という人もいますが、陶芸家や陶磁器メーカーの息子は自分が使えるブランドがすでにあります。ロータリーや他のビジネス組織に参加したい場合、ブランドなしではどうなると思います?陶器が上手くいかない商売ではなく、ブランドをうまくビジネスに繋げ、創造的に考えてお金を生み出す能力が必要ですよね。」
それに対し、柴田氏はこう話しました。「はっきり言ってしまうと、その人はその町の伝統的な焼物を真からは理解していなかったかも知れませんね。シンプルなご飯茶碗でも、日本の古典的なデザインはものすごく深いんですよ。素人から見れば同じように見えますけどね。そういう人には抹茶茶碗も同じように退屈に見えるでしょうね。これは受け手の問題ですけど、一方日本の伝統的な陶芸家の問題は想像力と創造性がない事です。ここ多治見ではそれがはっきりしています。」
柴田氏はここでは創造的なプロセスは話していません。この地域の「陶器の祖」について話しています。「例えば陶祖ですが、他の陶器の町がどうやって昔の人物のイメージをブランド作りに使っているか考えてください。この地域の人はそういう想像力が足りないと思います。ブランド作りが下手すぎます。そういう想像力が乏しいため、素晴らしい伝統は忘れ去られ、私たちの産業は衰退していきます。『陶芸家なんていう仕事はお金儲けが出来ないから、やっても仕方ない』という人もいますが、陶芸家や陶磁器メーカーの息子は自分が使えるブランドがすでにあります。ロータリーや他のビジネス組織に参加したい場合、ブランドなしではどうなると思います?陶器が上手くいかない商売ではなく、ブランドをうまくビジネスに繋げ、創造的に考えてお金を生み出す能力が必要ですよね。」
柴田氏は芸術を深く知ることが重要だと考えており、また人々は単なるビジネスライク思考の罠に陥りやすいと言います。「あるメーカーからは窯を、別のメーカーからは粘土を、また別のところから機械を買って、デザイナーにデザインを頼んで、という流れを作ることがは出来ます。しかしこれは結局作り手ではなく、工場のオーナーですよね。多分簡単なことなので、周りの人たちからはこういう道に進まないのはタワケ(東濃弁:ばか)じゃないかと言われましたよ。けれど今、そう言っていた人たちの商売はなくなり、私はまだ続けられています。これは資本主義の結果ですよ。その他の人たちもみんな同じやり方でした。利益を上げるために、多くのメーカーは同じような商品をどんどん作り始め、量を競います。それはますます価格が下がり、ますます大量生産になっていくという悪循環です。例えば昔はどの家にも同じようなティーカップセットなどの贈答品が送られていましたが、今は誰も欲しくありません。それはこのようなビジネスモデルの終焉を物語っています。私のやっていることは全く逆なんです。私は自分の作った作品でも気に入らなければ割ってしまって、ほんの少し売るだけで価値は下げませんよ。」
最近の作品
2020年5月の新しい作品です。
日本の抹茶茶碗には景色がある
柴田氏は「欧米人の陶器についての考え方が面白いですよ。」と言います。欧米人にとって一般的に日本の抹茶茶碗は単なるボウルです。しかし日本人にとっては、抹茶茶碗を用いて行う茶道は日本人が「おもてなし」と呼ぶ特別なホスピタリティの一部なのです。おもてなしは今欧米のサービス産業においてコンセプトとなり始めています。これは迎える側がゲストの靴でその人のことを想像し、瞬時にゲストの一番望むものを理解するといった感覚です。茶道の世界では、茶碗を触った感触も含まれます。ゲストが自分の手で感じるものは何でしょうか?「アメリカ人や他の国の人は、おもてなしの印として持ち心地のいい茶碗でお茶を出すという概念を持っていないことが分かりました。抹茶茶碗は単に容器なんです。アメリカで作陶を教えている生徒たちに、抹茶茶碗としてどうのように成り立つか尋ねても、誰も答えられません。だから私はこんな風に教えるのを思いつきました。景色の一部として、正面、背面、口をつけるところ、手を添える場所を考えてください、と。」と柴田氏は話してくれました。
「茶の湯の文化が日本に登場し始めた時期は、武士が支配していた時代でした。小さくて落ち着いた茶室は交渉事には理想的な空間でした。抹茶茶碗の歪んだ素朴な形は、会話のきっかけになった事でしょうね。最初から、交渉の核心に迫ることは出来ませんよ!」と彼は笑いながら話します。「歴史の中でもとりわけ影響力のある茶人の千利休は、こういう危険と隣り合わせの時代背景を考えて、茶道を発展させて行ったのかもしれませんよね。この時代は暗殺されることを本当に恐れていました。彼らは茶室のような交渉事をする部屋においても、警戒していたことでしょう。茶道では抹茶茶碗を口につける前に数回まわしますが、これもそういった理由の一つかもしれませんよね。」
香合
茶道と毒による暗殺への恐れ
また柴田氏はこんなことも説明してくれました。「茶道は全て清浄であることに関係しています。例えば、茶道の亭主を務める人は、ふくさ捌きといって、ふくさと呼ばれる布を両手で叩いて埃を払い落とします。これも元々は毒を払い落とすための手順だったかもしれません。それから、亭主は客人へお茶を点てるため、沸かした湯を茶碗に注ぎますが、この時彼は柄杓の湯を全ては注ぎません。半分注いで、半分は茶釜に戻します。これは使う湯が安全であるという証明になされたことかもしれませんよね。千利休はこれら全ての安全な手段を精巧に設計して、茶道を作り上げ、芸術へと昇華させたと私は考えています。考えれば考えるほどそう思えてきませんか?」と彼は笑いました。「もちろん本当のことは全く違うかもしれませんけど!とにかく私は月に1回ご婦人方との茶道を楽しんでいます。そこでこのような自分の考えを話すわけですよ。そうすると、みなさん喜んでくれますよ!先ほどお話に出た外国人の陶芸家の方は伝統的な焼物を作るのに飽き飽きしているかもしれませんが、茶の湯の文化や茶道を深く突き詰めて行くと退屈しないと思いますよ。」
柴田氏は毎年アメリカに訪れ、陶芸愛好家の方々に作陶を教え、作品の深い見方を探るようアドバイスしています。「私はアメリカのワークショップに参加する方々にこういった事を一生懸命伝えようとしていますが、簡単なことではありません。彼らは『先生の言っていることは分かりますが、私の手はそういう風に動いてくれません。』と言います。なぜかはよく分かりませんが、そう出来ないことに対して思いついたことがちょっとあります。それは彼らは技術的に上手く作ろうとすることに一生懸命だということ、そしてデザイン的に考え過ぎだということです。簡単に言えば、外国人はクリエーションに対し表面的に考え、作品のデザインがキレイなら満足する傾向があります。」
3つの角度から見た抹茶茶碗
「日本の抹茶茶碗は景色がある」
使うのが難しい茶碗?
柴田氏は自分の情熱に素直な人物です。彼は思いつくままどんどんと自分の考えを話して行きます。「私たち日本人は挑むことが好きなのです。例えば『この変わった見た目の抹茶茶碗を作りました。さあ、これでお茶を飲んでみられますか?』と言います。意図的に「使いにくそうな」非対称の形の茶碗を作り、お茶会などで人にそれを試させ楽しむわけです。これは外国人の方々には馴染みの無いことだと思います。彼らの中での道具というものは、見た目にスマートで使いやすい設計がされているものなのです。そして実用的でなくてはいけません。一方私たち日本人は、風変わりで風変わりで使いにくそうに見えますが、使ってみると心地よく手に沿うようなものを作ろうと努力します。日本にそういう伝統が根づいたのは古田織部のおかげでもあります。(古田織部は武士であり、茶人でもありました。)陶工たちは完璧な円の綺麗な焼物を作ろうと努めていましたが、幾度も失敗し、茶碗は曲がり変な形になってしまいました。そこに古田織部がやってきて、その曲がり具合が面白く、魅力的であると、そういった焼物に価値を見出したのです。」
茶道コーナーでの柴田氏。彼の持っている茶碗は前述のスライドショーの中で見ることができます。
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柴田育彦氏は美濃焼の伝統に深く携わっていますが、一方でそこからの脱却も試みています。美濃の地は志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部など、日本でも有名な焼物様式を生み出した地域です。日本は島国で、ある部分では孤立しているとみられていますが、柴田氏はこの文化を世界と共有し、そうすることで新境地を開拓しようと努力しています。そういう意味では柴田氏は普通の人と違うかもれません。彼はこの日本という島国だけではなく、遠い外国でも注目を集める存在なのでしょう。