知らぬが仏・・・というわけでもない
By Hans Karlsson
日本の伝統的な十二支によると、今年から来年末にかけては、私にとって困難な時期 - 厄年になるのだそうです。正直、これについて私は先日、地元の多治見地区で開催された祭事の手伝いに行くまで、完全に忘れていました。神道は日本の伝統的な宗教で、その多くは自然とのかかわりやご先祖様を含めた地域の精霊達とのつながりにもとづいています。私たちの地域の神社は緑に囲まれた山の上にあります。普段はイノシシの群れが夜に時々お参りするくらいで、人の気配はほとんどありません。
町内の人たちは定期的にここに集まって、落ち葉拾いなどの清掃活動を行います。今回もそうだろうと思っていたら、予想外の展開が待っていました。その日は本当に寒く、私は町内会長の家に一番に到着したので、ちょっと得意げな気分になっていました。この周辺では集会の開始時間の10分前には到着していないと、時間にだらしない人だと思われるかもしれませんから!
町内の人たちは定期的にここに集まって、落ち葉拾いなどの清掃活動を行います。今回もそうだろうと思っていたら、予想外の展開が待っていました。その日は本当に寒く、私は町内会長の家に一番に到着したので、ちょっと得意げな気分になっていました。この周辺では集会の開始時間の10分前には到着していないと、時間にだらしない人だと思われるかもしれませんから!
しばらくすると何人か集まりだしたので、私たちは山の頂上にむけて、長くて急な階段をのぼり始めました。息も切れ切れになりながら階段をのぼり、神聖な場所に到達しましたが、清掃作業は行われていませんでした。そのかわり、小さな木造の神社のとびらが開かれていて、中の小さな部屋を見ることができました。私にとって初めての経験です。何が起きているのだろう?何らかの祭事が行われていることは明らかでした。しかし私は知らないことを周囲に知られるのが恥ずかしかったので、疑問を私の中にとどめて黙っていました。そこにいる人は皆、私は何が行われるか知っているだろうと思っていたようです。
たき火が点けられたので、皆で火を囲んで冷え切った手足を暖めました。地面はあちこち穴だらけです。イノシシがミミズを探したり、自然薯(この芋についてはこちらもご参照ください。)を掘ったりしたのでしょう。私はしばらくのあいだ、暗闇の中でブーブー鳴きながら忙しく地面を掘って美味しいものを探す動物の姿を想像しました。この場所にはきっとタヌキ(日本狸)やキツネも何匹かいるでしょう。両方とも、日本では神秘的な力をもつと考えられている動物です。
しばらくすると、私たちは神社の中に入って準備をはじめました。この時点で、まだ私には全く何の準備なのかわかっていませんでしたが、薄い畳のような敷物を出して床に順序よく並べました。そして奥の部屋にあった大きな箱から小さな折り畳み椅子をもってきて、畳の向かいに設置しました。そうすることで、椅子に座った状態で畳に足を置くことができます。誰が来るのだろう?重要人物でも来るのだろうか?この時点で、私はとても気になりはじめましたが、何の準備をしているのか知らないことを、周囲に知られないようにしていました。
突然音楽が聞こえたので外に目をやると、2名の太鼓奏者が到着していました。そして、お祭りでよく流れる竹笛の音がスピーカーから流れてきました。やがて訪問客らしき人が到着しはじめました。手伝いに参加していた男性に 「何人来るのですか?」 とたずねたところ、「13人はこっちに座るよ。」と、折り畳み椅子を箱から取り出しながら答えました。「反対側にも13人。」男性は張り切った様子でそう話すと、忙しそうに部屋を横切って椅子を配置しました。
突然音楽が聞こえたので外に目をやると、2名の太鼓奏者が到着していました。そして、お祭りでよく流れる竹笛の音がスピーカーから流れてきました。やがて訪問客らしき人が到着しはじめました。手伝いに参加していた男性に 「何人来るのですか?」 とたずねたところ、「13人はこっちに座るよ。」と、折り畳み椅子を箱から取り出しながら答えました。「反対側にも13人。」男性は張り切った様子でそう話すと、忙しそうに部屋を横切って椅子を配置しました。
床が氷のように冷たかったため、スリッパを貸してもらいました(本当は自分のスリッパを持参するべきだったようですが、私は当然忘れました。)。しかしスリッパはとても小さくて、私の足は半分しか入らず、スリッパの端が私の足裏に食い込んで痛かったのです。次にたくさんの料理とお酒、日本酒が運ばれてきました。
おしゃべりな友人が「これを祭壇の棚の一番上においてきて。」と言いながら、私に大きなワサビを2本手渡しました。彼が部屋の反対側の出口のほうを指さしたので、野菜をもってそちらに歩いていくと、狭い廊下を発見しました。そしてその廊下のむこうに、小さな祭壇と棚がありました。「これはきっと神が住む場所に違いない」と思いながら、私は階段をのぼって棚の上に、できる限り品よく神聖に見えるようにワサビを配置しました。もう少し飾り物を持ってこようと急いで戻ろうとしたとき、大きな魚をかかえた、体をすっぽり包み込んでしまうくらい大きなダウンジャケットを着た小さな老人にぶつかりました。
床が氷のように冷たかったため、スリッパを貸してもらいました(本当は自分のスリッパを持参するべきだったようですが、私は当然忘れました。)。しかしスリッパはとても小さくて、私の足は半分しか入らず、スリッパの端が私の足裏に食い込んで痛かったのです。次にたくさんの料理とお酒、日本酒が運ばれてきました。
おしゃべりな友人が「これを祭壇の棚の一番上においてきて。」と言いながら、私に大きなワサビを2本手渡しました。彼が部屋の反対側の出口のほうを指さしたので、野菜をもってそちらに歩いていくと、狭い廊下を発見しました。そしてその廊下のむこうに、小さな祭壇と棚がありました。「これはきっと神が住む場所に違いない」と思いながら、私は階段をのぼって棚の上に、できる限り品よく神聖に見えるようにワサビを配置しました。もう少し飾り物を持ってこようと急いで戻ろうとしたとき、大きな魚をかかえた、体をすっぽり包み込んでしまうくらい大きなダウンジャケットを着た小さな老人にぶつかりました。
神秘的な力を持つと自称する人は、ときに、真の姿や未来、避けるべき事柄や成功する道筋について説教しようとします。私はそういったスピリチュアルなものに非常に懐疑的なので、だからこそ日本での生活が楽しいと感じています。日本人は、確固とした宗教概念をもった人から見ると、非常に大雑把な世界観を持っています。日本の精神文化には、さまざまな宗教、哲学、民俗学そして迷信といった要素が雑然と組み合わさっています。誰も確固たる教義を押し付けないこの考え方を私は非常に気に入っていて、それはこの日の神社でも確認することができました。
神秘的な力を持つと自称する人は、ときに、真の姿や未来、避けるべき事柄や成功する道筋について説教しようとします。私はそういったスピリチュアルなものに非常に懐疑的なので、だからこそ日本での生活が楽しいと感じています。日本人は、確固とした宗教概念をもった人から見ると、非常に大雑把な世界観を持っています。日本の精神文化には、さまざまな宗教、哲学、民俗学そして迷信といった要素が雑然と組み合わさっています。誰も確固たる教義を押し付けないこの考え方を私は非常に気に入っていて、それはこの日の神社でも確認することができました。
私は、祀られた神(もしかしたら女神?)さまについて全く知らない外国人です。この小さな祭壇で何の準備をしているのかも、その正式な手順も全く知らないのに、誰も気にする様子はありません。この祭事は結局のところハッピーエンディングで締めくくられるのですが、これについては次の記事で紹介します。この記事を読み終える頃には、なぜ今年が私にとって良くない年で、そして皆さんにとってどんな年であるのかもわかるでしょう。
もちろん、あなたが東洋の知恵に耳を傾けてもいいと思うなら、ですが。
もちろん、あなたが東洋の知恵に耳を傾けてもいいと思うなら、ですが。