上でご覧いただける動画では、ドラマチックな音楽にコミカルなタッチを加えてますが、このストーリーには映像で語れるよりもっと多くのことが起こっていたのです。焼き物パフォーマンスで舞台に上がるよう促されたのですが、自分の中でグルグルとおかしな葛藤が起こっていることに気づきました。断った方がいいか?あきらめて期待に応えた方がいいのか?不器用でくたびれたシロクマの自分が、ろくろの上で文字通りぐるぐる回ってコントロールを失いつつ、壊れやすく、グラグラと不安定で、柔らかな物体をなんとか形作ろうとして、笑いものになりはしないか?頭のなかが空っぽになり体が動かなくなってしまったまま、自分の周りで展開する様子をなんとなく見つめていた私は、結局予想もしなかった壇上に上がっていました。続けてストーリーの序奏と結末をお読みください。動画はその中間にすぎないのです...
それは10月の暑い日のことでした。場所は岐阜県多治見市の駅前でイベントが行われており、私はその最後の空席に座ることになりました。私は妻と共に陶芸家の安藤日出武先生を撮影する仕事でこの場所に来ていました。安藤先生はその作品が何千ドルという高額で売れるほどの有名な巨匠なのですが、大変魅力にあふれた人格を持つ方でもあります。東濃弁と呼ばれる地元の方言で話されるのもその魅力のひとつなのです。東濃弁は標準語にはまったく感じられない、抗いがたい魅力を持った方言だと思います。
そのイベントにはたくさんの人がみに来ていました。私が座った席は、燃えるような午後の日差しを浴びていたので、数少なく残っているもっと日陰の涼しい所へ移ろう、と思い始めました。
立ち上がろうとすると、「そこから動いちゃだめよ!」と妻が鋭い眼差しで言いました。「邪魔なものが映らなくて、安藤先生が撮れるアングルはそこだけなの。だからそこにいて!」
私の妻は日本人で、体つきは小柄なのですが、こういった目つきで見られると、突撃してくる雄牛でも止まってしまうほど恐いのです。私は再び同じ席に座り、額の汗を拭いました。タオルを持ってくればよかった、と思いました。安藤先生がふにゃふにゃな粘土をエレガントな茶碗に形作っていくなか、私はスマホを取り出して先生のその姿を撮り始めました。先生の手にかかると、見事なまでに簡単な作業に見えました。以前自分がお椀を作ろうとしてみじめに失敗したことを思い出しました。多治見での友人のスタジオでのことです。作ろうとした茶椀はロクロの上でぐらぐらと揺れ始め、最後はぐちゃぐちゃにに壊れてしまいました。みんなで大笑いしました。摩擦を避けるには指を水で湿らせる必要があります。そうしないと粘土は指先からぐらつき始めます。ロクロの上にある物が踊るのを止めようとすればするほど、事態は悪化してしまいます。私は高い運動神経を要する作業が大の苦手で、物を落としてしまったりコップの水をこぼしてしまうことがよくあります。自分には運動神経が欠けているのではないのか、と思うこともあるくらいです。一度ロクロに挑戦してみて、この古くからある工芸を習おうとしたら劣等生になってしまうことは自分でも分かっていました。これは他の人にまかせた方がいい、と。
「安藤先生が誰か試してみたい人は、と聞いたら、手を挙げるのよ!」と妻。
「いやだよ!」
「だめ、やるのよ!きっと面白い映像が撮れるんだから!」
自分が結果的に妻に従うことは分かっていました。さらに額からしたたり落ちる汗を拭きました。ハンカチを持ってくればよかった、と思いました。10月の後半がこんなに暑くなるなんて、誰が想像したでしょう?前の列でそこだけ空いていたのも当然です。私は焼けつくような日差しの下に座っていました。他の人達は屋根つきの、日陰のなかに座っていました。屋根のない場所は私の席だけだったのです。
さて、安藤先生が壺作りを終えました。アナウンサーが観客に呼びかけました。
「どなたかやってみたい、という方、いらっしゃいますか?先生が助けてくださいますから、大丈夫ですよ!」
妻が自分の腕を引っ張っているのを感じました。
「あなたの番よ」、妻は耳元でささやきました。
自分の中で、なにか強くパワフルな感覚が湧き上がってくるのを感じました。抵抗するんだ。振り向いて、後ろに座る観客を見てみました。外国人は一人もいません。ここにいるのは図体がでかく太った、白い、ハゲのシロクマだけで、それがもうすぐ舞台で踊ろうとしているのです。実際にハゲのシロクマなんているのかな、とも思いましたが、そんなことどうでもいいのです。自分ではそう感じたのですから。ほっとしたことに、お年寄りの女性が手を挙げてくれました。安藤先生はこの人を自分の横の椅子に招きました。
女性の番が終わろうとしていましたが、その頃にはアナウンサーはすでに私に照準を合わせていました。今度は逃げることはできません。妻が私の腕をまた引っ張っていました。アナウンサーが自分の名前を呼ぶ前に、私は手を挙げていました。頭の中では、自分はとても小さな、きまりの悪そうな、内気な小男へとしぼんでしまっていました。巨匠の横の椅子に座ろうとしている、どっしりとした男とはずいぶん違うイメージです。あの、粘土がグラグラと回りながらコントロールを失う様子が頭に浮かびました。それで、まったく無理だと思われるようなものに挑戦することに決めました。徳利です。英語では“sake flask” とか“sake decanter”と呼ばれるものです。首と口があるので、単にお碗を作るより、もっとずっと難しいのです。途中で駄目にしてしまうのは確実です。ただ、お椀のような単純で簡単なものにトライするのは臆病者のやることなんじゃないか、と感じられたのです。お茶椀なら2、3回やってみたら誰にでもできるようになる、といいます。ただし私を除いて、ですが。
みんなの前で失敗することへの恐れは、自分にとって昔からつきまとう忌々しい呪いのようなものです。ドイツ語の授業に来て宿題をし忘れていたことに気づいた自分が、今でも夢に出てきます。生まれ育ったスウェーデンの町の高校のドイツ語の先生は、年寄りのドラゴンのように恐い人でした。チェロを弾く完璧主義者で、宿題をやってこないなど、決して許すはずはありません。毎週口答試験があり、生徒を1人選んで拷問のような試験を始めるのですが、その試験といったら、永遠に続くんじゃないかと思われるように延々と行われました。授業に来て、その週の動詞の語形変化についてまったく分からないのに試験に答えるよう当てられる、という悪夢を今でも見ます。
ただ、失敗を恐れた過去というだけでなく、この話にはもっと深い意味があるのです。外から来た者が日本に住む、ということは、ヨーロッパやアメリカに住むのとは全然別のことなのです。ヨーロッパやアメリカでは、よっぽど見た目が変でない限り、外国人というだけで目立つことはありません。ニューヨークやロンドンといった都市は人種のるつぼであり、世界中のあらゆる所から何百万という数の人が集まっているのが目に見えて分かります。日本はそうではありません。東京の喫茶店に入った途端にウェイトレスさんから困ったような目で見られた時代もありました。今でも覚えていますが、ウェイトレスの皆さんが店の隅に固まって、誰が注文を取りに行くか押しつけあっていたものです。「私は英語だめだから、あなた行って!」とね。席に座って彼女たちが問題を解決するのを待っているのは、かなり恥ずかしいものでした。
日本の田舎では、外国人、特に白人は極めて珍しいのです。多治見では私以外ほとんど白人は見かけません。場所によっては中国人はよく見かけます。古い中古の自転車に乗り、集団でまとまって買い物に出かけるので目立ちます。中国人やその他のアジアからの人達は、日本に出稼ぎに来てお金を貯めるのです。単純労働者が一時的に入国を許可されるケースが増えてきました。人口減少に加え、製造業で働きたいという若者も減っていることから、企業は人手不足に悩まされているのです。多治見の小さな工場も同じ悩みを抱えています。しかしながら私のこの金髪の、スカンジナビア系の外見は、ここでは珍しいのです。多治見でこれまでに出会った北欧出身者は一人だけ(フィンランド人の若い女性)で、他の白人もわずかです。そういう事情があって、安藤先生の舞台に参加することになった私は、シロクマになったような気分を感じたのです。
アナウンサーは私にどこから来たか尋ね、私が日本語で答えると驚いたようでした。日本ではまだ、日本語を流暢に話す外国人は注目に値し、しかもスラスラと日本語を書くことまでできる外国人となると、センセーションを巻き起こします。そこまでの日本語のレベルに行くのは本当に大変なのです。多治見では、会話と読み書きの両方で流調レベルまで近づいている外国人は、私だけかもしれません。挨拶の言葉に続けて色々と答えたら、観客はたちまち反応しました。ショーは始まっていたのです。
英語の字幕を付けましたので、英語圏の皆さんには次に起こることをよくご理解いただけるといいのですが。(字幕が出てこなかったら、字幕スイッチがオンになっていることを確かめてください。“cc”という小さなボタンが画面下の右端にありますから、そこをクリックするとオンになります。スマホでは、画面をタップするとアイコンが現れます。キャプションメニューを開くための3つの小さな点をタップしても結構です。)動画では私はかなり陽気で楽しそうに見えるでしょう。実際、楽しかったのです。安藤先生の魅力あふれる方言や親切さからかもしれないし、作っている徳利がお行儀よくしてくれていたからかもしれません。難しい段階に入った頃、アナウンサーとスウェーデンの陶磁器の町、グスタフスベリの話をちょっと始めました。それでロクロ上のものを忘れてしまいました。安藤先生が作業を引き継いで、気がついたら、残る作業はほんのちょっとした仕上げだけでした。私は口の端を少し折り曲げました。お酒を注ぎやすくするためです。3種類の釉薬から1つ選ぶように言われたので、ピンクの志野釉(しのゆう)を選びました。
あんなに心配したのに、結局ヘマはしませんでした!自分はたった今、本物の志野様式の徳利を作ることに成功したのか?すべてがたった数分の間に起こったのです!部分的ながらまさに自分の手の入ったすてきな徳利で家に来たお客さんに酒を注いでいる自分の姿を想像しました。そうなれば楽しいですよね。昔のドイツ語の先生がまだ生きていらしたら、最初のお客として最適だなと思います、本当に。すべて自分でやっていたら、あらゆる形にゆがんだりねじれたりしていたに違いないのは確かです。自分で焼こうとしたら必ず失敗してしまうので、ここは安藤先生にお任せします。
小さな徳利が窯の中でどんなひどい熱に耐えなければいけないことか、と頭によぎりました。安藤先生は、今回の徳利は旧式の登り窯ではなく、現代式のガス窯で焼くのだろうと思います。先生は安価なものを作る時はガス窯を使う、と何かで読んだことがあります。それでも、このサイトを立ち上げて以来焼き物について書いたり考えたりしてきたなかで、この小さな徳利は特別なものとして私の心に入り込んでいました。多治見周辺には作陶体験施設がたくさんありますので、そのどこかを選んで焼き物を試してみるのもいいのではないでしょうか。ちょっとした作業をさっと行って、ズボンに粘土がちょっと付くだけで、何世紀ももつ物を作ることができるのです。
考えてもみなかったことですが、ちょっとした試みのお蔭で、とうとう焼き物ファンになりました。
安藤先生の仕事の仕方や先生の作品について知りたいという方は、このプログラムをご覧ください。先生が窯で志野焼を焼いているシーンから始まります。陶器に釉薬を付けるところでは、先生は陶器を液体状の釉薬に浸けています。あるシーンでは、先生は焼きあがった物の中から欠陥が見つかった物をたたき壊してしまいます。多治見市近くの可児市の山々では古代の破片、壊された志野焼が見つかっており、これがこの優れた陶器の銘柄の起源はこの地域であるという証拠と見なされています。
この記事の中ではスウェーデンの陶器の町、グスタフスベリにも触れています。下のボタンをクリックでグスタフスベリの陶器工場を見ることができますよ。
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Tokkuri (collection of Japanese sake flasks)
Tokkuri (collection of Japanese sake flasks)
By Yuya Tamai from Gifu, Japan (徳利 tokkuri) [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
Tokkuri (single Japanese sake flask)
Shino ware tea bowl