青山双溪氏、「白天目」の再現に挑んだ窯
ハンス カールソン
青山双溪氏作の白天目の3Dモデル(3Dモデルは合同会社Mimir制作)です。マウスでモデルを自由に動かしてください。AltキーやOptionキーを押しながらマウスを動かすと照明を動かすことができます。青山氏はこの茶碗のオリジナルの大名物の白天目が小名田で作られたことを証明したのですが、さらに一歩進んで、その茶碗が焼かれた時代の窯をモデルに独自の窯を作り、オリジナルの製法を完全に解明しようとしているのです。
2022年12月のある日、僕は多治見市小名田町の自宅近くの裏山に登り、陶芸家の青山双溪氏に話を聞きに行きました。青山氏が建てた窯の横で日向ぼっこをしながら彼にたくさんのお話を伺いました。彼は室町時代の「白天目」(しろてんもく)と言われる茶碗を再現し、2018年に多治見市の無形文化財保持者に認定されています。その原点に立ち返るため、白天目が作られた室町時代(1336年ー1573年)の窯をモデルに独自の窯を開いたのです。
この日は窯焚きが終わって5日後で、その窯の大きなおなかのような部屋が冷め、中の陶器が取り出せるようになっていました。思い返してみればこの試みにはたくさんの苦労がありました。2年前、窯の建造に必要なレンガ作りから始まり、今回の窯焚きでは底冷えのする多治見の冬の夜に、陶芸家たちは眠気と戦いながら巨大な穴窯に薪をくべ続けました。こんなふうに最初から最後まで苦労の連続でした。僕は何か月も薪割りを手伝わせていただき、何トンもの薪を割ったのですが、窯焚きは想像以上に大変な作業で、実際に近くで見させてもらって分かったことがたくさんありました。
窯がある虎渓山町は、多治見駅からバスや自転車で簡単にアクセスできます。周辺には美味しい食べ物屋さんやカフェがあり、長い歴史のある永保寺からもそれほど遠くはありません。この作品の最後に補足資料が掲載されていますので、興味のある方はご覧ください。
ギャラリーやショップで目にする陶芸家たちの作った焼き物は、長い時間と手間のかかるプロセスの最終結果であり、特に薪窯の場合もっと多くの苦労の結晶なのですが、その過程はとても興味深く勉強させられることがたくさんあります。青山氏は生涯をかけてこの地方で作られた白天目の復元をしました(白天目とその歴史についてはこちらをご覧ください)。今回は2年前に窯を作るためのレンガ造りから始まり、何回ものテストを経て建てた窯についての記事で、2022年11月29日から行われた初焼成の記録を記しました。
窯への装填と焼成
10日以上に渡って行われた窯焚きの概要は次の通りになります。
11月28、29、30日
窯への陶器の積み込み
12月1日
窯詰めは朝の6時に終了。窯を200度ぐらい低温で炙る。
12月2日
この日の朝までに400度くらいに到達。その後750度前後までゆっくりと温度を上げ、その温度をキープ。
12月3日
午後3時から強い還元をかけていく。還元の温度は約900度からスタート。最終的には1200度まで上昇させる。
12月4日
午後3時に「色見」を出して釉薬の様子を見たところ、灰釉は溶けてなく、染付も溶け不足のため、更に薪を焚いていく。
12月5日
午前10時頃鎮火。窯の冷却が始まる。
12月10日
窯から陶器が取り出される。
窯への陶器の積み込み
12月1日
窯詰めは朝の6時に終了。窯を200度ぐらい低温で炙る。
12月2日
この日の朝までに400度くらいに到達。その後750度前後までゆっくりと温度を上げ、その温度をキープ。
12月3日
午後3時から強い還元をかけていく。還元の温度は約900度からスタート。最終的には1200度まで上昇させる。
12月4日
午後3時に「色見」を出して釉薬の様子を見たところ、灰釉は溶けてなく、染付も溶け不足のため、更に薪を焚いていく。
12月5日
午前10時頃鎮火。窯の冷却が始まる。
12月10日
窯から陶器が取り出される。
青山氏は今回窯の中の酸素を少なくした状態で焼く、つまり還元焼成を予定しています。一酸化炭素は、空気で燃やせる量以上の燃料を入れると発生するガスで、温度を上げると素材から酸素を奪います。土や釉薬に含まれる酸素を奪うのです。その結果、陶器は独特の色合いになります。「還元焼成 」は約900度からのスタートを想定していますが、窯がいうことを聞いてくれるのか心配です。
この焼成のために青山氏は50点あまりの白天目を含む約150点の陶器を、息子の健祐さんとともに窯内の棚に積み、詰めていきました。窯は斜面の下にある焚口から、ダンパーや煙突のある上部まで約7メートルもの長さになります。
2人の親子は、窯に火を入れる前の11月28日から積み込みを始め、終わったのは火入れ当日の朝6時だったそうです。さぞかし寒かったことでしょう。青山氏はその時のことを「イノシシが寄ってきて、鳴いていたんですよ!」と冗談めかして話しました。(5日間に及ぶ窯焚きの間、イノシシが何度も様子を伺いに来ました。)12月1日の火入れの朝、数時間しか寝ていない健祐さんはすでに疲れきっている様子でしたが、いよいよ窯焚き本番です。
焼成が還元レベルに達するには、数日かかります。まず、窯の中の湿気を取り除かなければ釉薬が剝がれてしまいます。火おこしのため健祐さんが山腹の薪から細い枝を集め始め、火をつけようとしていました。枝は数日前の雨でべちゃべちゃに濡れていて、少し苦労したように見合えましたが、なんとかうまく火が点きました。窯焚きの初日は湿った内部を乾燥させるために、窯の温度を低く一定に保つようにしました。
焼成は一気に温度を上げればいいというものではなく、段階的に温度を上げる必要があります。窯を100~200度くらいの低温で炙った後、さらに薪を投入し750度くらいまで温度を上げます。そしてその温度を維持するのです。「これが火を引っ張るということです。」と青山氏は説明しました。温度を横ばいにする必要があるのです。
そして4日目、1200度の還元焼成温度まで加熱しました。陶器の種類によってその反応はそれぞれ違います。例えば灰釉の焼き物は、他の作品よりも長い焼成時間を必要とします。青山氏は瀬戸黒の作品が先に焼きあがると説明します。「他の物より先に瀬戸黒のサンプルを先に取り出します。それから上は下のほうより暖かいんです。例えば下の方の作品を取り出して釉薬がちゃんと溶けているように見えたら、上の層の作品は取り出しても大丈夫だと分かりますよね。だから下の方の作品に目を配り、工程の進み具合やその色などで火加減を調整しています。」また彼が言うには「色見」と呼ばれる小さなサンプルを使い、簡単に取り出して釉薬の状態を確認するのだそうです。
彼が窯の戸を開け、初めて中の火を見ることができました。火は現在フル稼働しています。正直なところ燃え盛る炎を想像していたのですが実際は全く違いました。今まで見たこともないような、熱いオレンジ色の液体が何層にも重なっているような、ゆっくりとした動きをしているのです。猛烈に熱いはずなのに、不思議と自分がいるところからはあまり熱さを感じませんでした。
現代に大名物として美術館などに納められている白天目は、500年前から武士が使ったりして大切に伝わってきた作品です。その中の一つは武野紹鴎(1502-1555)が初めて注目したとされています。今回青山氏が窯で焼き上げる白天目は、現存する大名物とほとんど見分けがつかなくなるのでは!と期待が高まりますがどうなるのでしょうか。今回は、小名田町の白山神社境内で見つかった破片に含まれていた土に近いものを使用したそうです。
結果について
火を止めてから5日目です。坂道を登って窯を訪ねると、すでに大勢の人が集まっていました。青と白のストライプの運動着を着た学生たちもたくさん来ています。窯を開ける瞬間を写真におさめようタブレットやカメラを用意してきたのだそうです。ちょうど青山氏が窯横の入口を開けるため、口を塞いでいるレンガを取り出そうとしているところでした。白天目は予定通りうまく焼きあがったのでしょうか。ここまで窯の準備には相当な時間がかかっています。この20年間彼は白天目とその工程を再現するために心血注いできました。ここまでの工程を目の当たりにしてきた全員の胸に様々な思いが浮かび、会場は興奮に包まれていました。
しばらくすると青山氏が入口のレンガを外し中の棚から最初の作品を取り出し始めました。背の高い花器や酒器、染付など、さまざまな種類の焼き物が並んでいるのが見えます。中には棚に張り付いてしまったものもあったようですが、全体としては問題ないようです。今度の展覧会では、この中から彼が厳選した作品を展示するとのことです。白天目の出来は気になりますが、まだ取り出されていません。
そして息をのむ瞬間です・・・。「残念ながら、白天目と言われる色が出たものは一つもありませんでした。茶碗の底の緑色の釉薬が、深みのある緑色になっていませんね。」と青山氏は天目茶碗を取り出し批評しました。そしてその違いを見せるために、古窯から発掘された碗の破片を焼きあがった天目茶碗の底に置きました。「釉薬の気泡はあるのですが、色が違います。」と話しながら続けます。「この茶碗は質が悪い、それは土のせいだと思われます。私が使っている土よりも純度が低いようです。それと酸化鉄分などの物質が足りないですね。」
鉄分など一部の物質が足りない ということで青山氏の研究はまだ終了ではありません。「最適な土の場所はどこか?白天目はこのあたりで作られたものだから、この狭い範囲にあるはずなんです。」と彼が話したので僕は「 もう少し鉄を混ぜられないの?」 と尋ねてみました。彼はこう続けます。「いや、そういうわけにはいかないんです。」「室町時代の陶工たちに電話して聞いてみたいですね。」と僕は冗談を言ったら、彼は「いや、半世紀も経てば、土地もずいぶん変わっていますよ」と言って笑いました。
窯の中では何が起きていたのでしょう。青山氏曰く、右側では案の定還元が起こり、左側では逆に酸化が起こったそうです。困りましたね。窯の設計といい、器の原料の調合といい、さらなる工夫が必要なようです。
「まだまだですが自分が正しい道を歩んでいることは分かっています。この長い旅もあと数歩ですが、最後の一歩が一番辛い。 そして今本当に疲れています。」
青山氏が疲れているのは間違いないですね。この時彼は窯の煙突の横の日当たりの良い場所で、話している間に眠ってしまったのですから・・・。確かに山で3泊4日は睡眠不足ですね。
アクセス
草頭窯
青山氏の「草の頭窯」は、虎渓山町の隣の小名田町にあります。こちらにはギャラリーも併設されています。
今回の記事の薪窯は「虎渓山 澄心窯」と名付けられ、草の頭窯とは別の場所にあります。この窯については下の地図を参照してください。
今回の記事の薪窯は「虎渓山 澄心窯」と名付けられ、草の頭窯とは別の場所にあります。この窯については下の地図を参照してください。
「虎渓山 澄心窯」
この記事を書いている時点では、窯に続く道はまだ地図に記されていませんでした。しかし、まず近くにあるサンドールというカフェに行けば、簡単に窯を見つけることができるでしょう。カフェの左側の道を登っていくと、砂利道に突き当たります。その砂利道を200メートルほど登ると、虎渓山 澄心窯が見えてきます。
バス
近くにバス停「高田口」があり、そこから徒歩5分ほどで「虎渓山 澄心窯」に行くことができます。バスは多治見駅前から運行されています。バスの進行方向とは逆に戻り、サンドール(上記参照)から上に続く坂道を登っていってください。
自転車
多治見にはレンタサイクルがあり、電動自転車や一般的な自転車を借りることができ、街中の移動に便利です。「虎渓山 澄心窯」は、レンタサイクルサービスからJR多治見駅を経由して市街地まで約20分の場所にあります。
近くにバス停「高田口」があり、そこから徒歩5分ほどで「虎渓山 澄心窯」に行くことができます。バスは多治見駅前から運行されています。バスの進行方向とは逆に戻り、サンドール(上記参照)から上に続く坂道を登っていってください。
自転車
多治見にはレンタサイクルがあり、電動自転車や一般的な自転車を借りることができ、街中の移動に便利です。「虎渓山 澄心窯」は、レンタサイクルサービスからJR多治見駅を経由して市街地まで約20分の場所にあります。