05-ながせ通りウォーキング
昔の姿に思いを馳せながら
多治見ウォーキングシリーズにようこそ。今回のコースは、明治20年、旧下街道を氾濫させ続けた土岐川(下図右側)から安全な距離を置いて長瀬集落に作られた多治見の中心商店街をご案内します。
ウォーキングマップで道を確認
町歩きがスムーズに出来るよう、ウォーキングマップを作成しました。紫色のポイントはお店や目印となるものを示し、道しるべとなるように作ってあります。ウォーキングリストをすべて表示するにはマップ左上のアイコンをクリックしてください。また、多治見町歩きパート4の記事で紹介した歴史探索ウォーキングも参考にするといいかもしれませんね。
駅前からながせ通りへ
地図を見ながら進むと、スーパーマーケット「フランテ」を過ぎてすぐ左手にある喫茶店「サントス」の前を最初に通っていきます。サントスは中部地方独特の朝食サービス「モーニング」を楽しむことができる僕のお気に入りの場所の一つです。サントスを過ぎると大判焼きで人気のお店「富士アイス」があります。
そのまま道なりに進み、最初の交差点を左に曲がります。右手に見えるJAバンクが目印です。
そのまま道なりに進み、最初の交差点を左に曲がります。右手に見えるJAバンクが目印です。
ひらがなで「ながせ」と書かれた大きなアーチが見えてきます。このあたりにはかつて、文化劇場という大衆的な映画館がありました。歌舞伎のように畳に座って観るスタイルでした。
文化劇場の古い写真(上図)を発見しました。ところが、アーチには「日活劇場」と書かれています。日活は全国展開の映画館ですが、地元の人はこの劇場を「文化劇場」と呼んでいました。
少し時代をさかのぼってみましょう。明治時代の町の様子を想像してみてください。私たちは1900年代になったばかりの頃にタイムスリップしてしまったのです。通りを行き交う大人たちの多くは、まだ着物を着ています。たくさんあった窯元や陶磁器工場からの製品を積んだ荷馬車が馬に引かれています。産業は順調で、町は活気に満ちています。
町のあちこちに空に向かった高い煙突があります。名古屋行きの新しい鉄道が完成し、ながせ通りが駅へのメインロードとして賑わうようになったばかりの頃のことです。封建時代から脱した日本は、技術革新によって急速に変わろうとしています。馬車に加え、自動車が町中を走り始めました。多治見の陶磁器は日本全国的に売れており、商人たちは喫茶店やうなぎ屋で接待をしていたそうです(うなぎは多治見の郷土料理)。
ながせ通り
アーチの下をくぐり、ずっと進んでいくと右手にヒラクビルが現れます。ここは、明治や昭和の初期にあったカフェーや喫茶店とはまったく違う現代的なカフェがあります。書店とカフェが一緒になった施設で、カフェスペースでは本の試し読みができ、ワインを飲みながら本を楽しんでもいいんですよ。
そのまままっすぐ歩き続けると、すぐに五叉路に到着します。ここで振り返ると、カラフルなタイル張りの壁が印象的な三角形の床屋さん「ローズ」。その右手の道は、多治見の北側を通る中山道まで物資の往来があった旧今渡街道です。
右に曲がると、「虎渓道」と書かれた古い石造りの道しるべがあります。虎渓山の丘は多治見の中心部の農地に水を運ぶ、農民にとって重要な場所でした。
しばらく歩くと、右手にカッパ公園が見えてきます。ここでは定期的に青空市場が開かれています。公園の奥には、陶器で作られたとても印象的なカッパたちが飾られています。
河童は川に住む日本の民話に登場する生き物で、とてもいたずら好きで、果てには若い女性の処女を奪うなどといった伝説もあります。また、多治見の陶芸好きな少女たちを描いた人気テレビアニメ「焼くならマグカップも」のPR看板も大きく掲げられています。
屋根神様
このままながせ通りを進んでいきましょう。しばらくすると通り出口のアーチが見えてきますが、その前にある玉木さんの古い酒屋に寄ってみます。この建物の2階部分には、いわゆる「屋根神様」と呼ばれる社が祀られています。
このような神社は、日本ではこの地方近郊だけだそうです。神道は日本固有の宗教で、その神様(人間の祖先など)はあらゆる自然の中に宿っていると言われていますよね。ここでちょっと立ち止まって、昔の多治見をもう一度想像してみましょう。
下の写真は、ほぼ同じ場所を写したものです。このながせ通りにはどんな店があったのでしょう。この2枚の写真の間、何世代も過ぎている間に、たくさんのお店が移り変わってきたのでしょうね。
玉木さんの酒屋さんは一見の価値ありです。昭和の雰囲気が漂う小さな店は、素朴で居心地がいいですよ。玉木さんはここで定期的にジャズコンサートなどを開催しています。店内の天井の高いところにある古いビールの広告もお見逃しなく。以前、僕がこの店を訪れたとき、あるおじいさんがマムシが入った瓶を持って入ってきて、玉木さんにその瓶に焼酎を入れてくれと頼んでいました。マムシを漬けた焼酎は精力がよくつくそうです。
そのまま突き当たりまで行って、右折して多治見橋に向かいます。最後にもう一度、昔の話に戻りましょう。この橋は土橋で、しかも仮設だったそうです。土岐川は気性が荒く、氾濫すると橋が流されて、河童も川を鎮めることはできませんでした。
もう1枚、このあたりで撮影された古い写真を発見しました。
僕は今、ながせ通りが整備される前の川岸に通っていた旧下街道に立っています。次回は多治見橋の向こう側のおりべストリートを訪ねます。それでは町歩きを楽しんでください!
notes
このウォーキングコースを撮影した動画は多治見市観光協会の海外向けYouTubeチャンネル「TajimiTourismAssociation」内で公開しています。